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銀河鉄道の夜は未完成!?あらすじとモデルとなった場所をご紹介!

宮沢賢治の代表作とも言える『銀河鉄道の夜』。宮沢賢治の晩年に書かれたこの童話は、実は未完成なのです。

晩年に書かれたこの作品が出版されたのは宮沢賢治の死後。

そんな『銀河鉄道の夜』のあらすじと、物語のモデルとなった場所をご紹介します。

未完成だからこそ、私たちの心に語り掛けてくる宮沢賢治の世界。

物語の続きは、あなたの想像の世界にあります。

 

「銀河鉄道の夜」は未完成!?

 

宮沢賢治は、子供たちに向けた数多くの詩や童話をこの世に残してくれました。

ただ、実はその作品の多くは、宮沢賢治が亡くなった後にこの世に出てきたものなのです。

「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治の代表作だと思いますが、この作品も宮沢賢治が37歳の時に急性肺炎でこの世を去った後に発表されたものです。

宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」の原稿を書きかけのままで遺しました。

その原稿は4つあったと言われています。

この4つの原稿は、度重なる推敲が重ねられ、膨大な量になっていたといいます。

この遺稿を、専門家たちが綿密に調査し、推敲がもっとも後とされる第四次稿を最終的な原稿としたのです。

現在出版されている「銀河鉄道の夜」は、この最終形をベースにしているものがほとんどのようですね。

 

「銀河鉄道の夜」あらすじ

 

ここで、

「銀河鉄道の夜って、良く知らない」

「昔読んだけど、どんな話だったっけ?」

という方のために、あらすじをご紹介しておきますね^^

銀河鉄道の夜 あらすじ

主人公のジョバンニは貧しい学生で、活版印刷所でアルバイトをしながら病気の母を看病している。

父親は漁に行ったきり帰って来ない。孤独な彼は同級生からよく馬鹿にされるが、親友のカムパネルラだけは違った。

「星祭」の夜、ジョバンニが母のために牛乳をもとめて歩いていると、銀河の祭りに向かう同級生たちに遭遇する。

いじめっ子のザネリが彼のことをからかい、そこにいたカムパネルラは気の毒そうに下を向いていた。

ジョバンニはひとりで町のはずれに向かう。

ジョバンニが丘の上で孤独に夜空を見上げていると、突然「銀河ステーション、銀河ステーション…」とどこからともなく聞こえてくる。

次の瞬間、彼は銀河鉄道に乗っていた。そしてそこにはカムパネルラもいた。

牛の祖先の化石を発掘する大学士や鳥捕りの男と出会いながら、銀河鉄道の旅は続く。

途中で「氷山に衝突して沈んだ船に乗っていた」という子どもと青年が乗り込んで来た。

天上であるサウザンクロスに着くと、他の乗客は皆降りてしまい、ジョバンニとカムパネルラは2人になった。

彼らは「本当のみんなの幸せのために歩もう」と誓う。しかし暗黒星雲を見たカムパネルラは、「お母さんがいる」と言って消えてしまう。

ジョバンニは丘の上でひとり目覚める。

牛乳をもらって川へ向かうと、カムパネルラが溺れたザネリを助け、そのまま行方不明になっていることを知る。

また自分の父が帰ってくることを知り、彼は母の待つ家に向かって走り出す。

引用:https://ddnavi.com/serial/524310/a/

 

「銀河鉄道の夜」のモデルは、岩手軽便鉄道【足ヶ瀬橋梁跡】

2019年7月3日(水)放送の「世界の何だコレ!?ミステリー」【謎を解け!意外な日本15連発SP】(フジテレビ)で、「銀河鉄道の夜」のモデルになった場所が取り上げられました。

番組案内の文章を引用すると...

■岩手/とある湖に、あの有名な童話「銀河鉄道の夜」のモデルになったとされる廃線跡があるらしい…

現地へ飛び調査を行うと、確かに不思議な“石積み”が姿を現していた!

今、廃線旅にどっぷり浸かっている六角精児に、その映像を見てもらうと「これはすごい!」と大興奮!

ロマンあふれる岩手県の「何だコレ」をお送りする!

"湖に沈む"、"石積み"。。。なんか、ミステリアスでノスタルジック、「銀河鉄道の夜」のイメージにもピッタリなキーワードですね^^

このモデルとなった廃線跡は、岩手軽便鉄道【足ヶ瀬橋梁跡】というところです。

岩手軽便鉄道は、現在のJR釜石線ですが、以前から「銀河鉄道の夜」のモデルと言われていた路線です。

その廃線で"湖に沈む"、"石積み"に当てはまるのが、【足ヶ瀬橋梁跡】というわけです。

童話「銀河鉄道の夜」に以下の一節があります。

気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、

ジョバンニの乗っているちいさな列車が走り続けていたのでした。

ほんたうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、ちいさな黄色の電燈のならんだ車室に、

窓から外を見ながら座っていたのです。

『銀河鉄道の夜』より

 

【足ヶ瀬橋梁跡】は、岩手軽便鉄道ファンなら見逃せない場所と言われていて、雪解け時期や豪雨などで増水した時は、その姿を見ることが出来ないそう。

写真ではダム中央にある橋脚の根元付近とそれに続く軌道堤のみのが撮られていますが、現地にはもう一つ橋脚があるそうです。
(橋梁とは道路や水路を支える構造物のこと、いわゆる橋ですね^^)

ダム中央にある橋脚の一部は、人の手にふれない場所にあるためか、ほとんど崩れていないそうです。

この幻想的で美しい風景。残して欲しいですね。

また、岩手軽便鉄道には、通称「めがね橋」といわれる【宮守川橋梁】があります。

ここも「銀河鉄道の夜」のモチーフになったと言われています。

 

岩手軽便鉄道【足ヶ瀬橋梁跡】はどこにあるの?

さて、その【足ヶ瀬橋梁跡】ですが、どこにあるんでしょうね?

調べると、「岩手県遠野市上郷町細越40,41地割」という住所が出てきました。

観光地というわけではないようで、アクセス方法としては、足ヶ瀬堰堤で堰堤下の国道側の川岸にある細長い空き地にあるそうで、
近場までは車でアクセス可能とのことです。

あくまでザックリですが、以下のあたりだと思われます。

 

「銀河鉄道の夜」作者の宮沢賢治とは?

 

ちなみに、作者の宮沢賢治についても、簡単にご紹介しておきます。

[生]1896.8.27. 岩手,花巻
[没]1933.9.21. 花巻
詩人,児童文学者。 1918年盛岡高等農林学校卒業。家業に従事中,日蓮宗の熱心な信者となり,布教のため上京,
『どんぐりと山猫』 (1921) ,『かしはばやしの夜』 (21) など童話数編を書いた。
しかし発表の機会がないまま帰郷して 24年童話集『注文の多い料理店』および詩集『春と修羅』を自費出版。
凶作と不況にあえぐ農民に稲作指導をしつつ天衣無縫の詩才を育てたが病弱のため夭折。
没後,草野心平に発掘され,その豊かな空想性とユーモア,宗教性,土着性,科学精神などの交錯する世界が注目を浴びた。
ほかに童話『銀河鉄道の夜』 (27頃) ,『グスコーブドリの伝記』 (32) ,詩『雨ニモマケズ』 (31) など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について

 

「銀河鉄道の夜」が伝えたい事

 

「銀河鉄道の夜」は未完成のまま現在に至るわけですが、宮沢賢治がこの物語で使えたかったことって何だったんでしょう?

この物語は「本当の幸せ」がテーマです。

実際、5つの場面で、本当の幸せについて11回も言及しています。

主人公であるジョヴァンニが、母の看病に苦労し、同級生にいじめられる中で「銀河鉄道」が教えてくれたこと、友人「カムパネルラ」の行動から、
「本当の幸せ」について考え、それは何なのかを意識する。その心の成長を描いている作品とも言えると思います。

そしてジョヴァンニが行きついた答えは、「他の人の幸せのために生きること」。
これが「本当の幸せ」。

物語の中でジョヴァンニはこう言っています。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、
どこまでもどこまでも一緒に行こう。
僕はもうあのさそりのように本当にみんなの幸(さいわい)のためならば
僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
(『銀河鉄道の夜』より引用)

このあと現実の世界に戻っラカムパネルラは、友人ザネリを助けるために死んでしまいます

これはもちろん物語としての象徴的な表現ではありますが、

宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」という童話で子供たちに伝えたかった「本当の幸せ」は、「誰かを助けることができること」だったのかな、という気がします。

 

まとめ

 

名作「銀河鉄道の夜」。多くの人が一度は読んだことのある童話かもしれませんね。

久しぶりにもう一度読み返して、その神秘的な世界観と、舞台となった岩手軽便鉄道、そして宮沢賢治に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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