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内田裕也が樹木希林に送った手紙が語るその関係性と愛に也哉子涙

永遠のロックンローラー、内田裕也さんが3月17日、肺炎で亡くなられました。

日本ロック界の重鎮として、死ぬまでロックンロールに身を捧げた男の生き様は、

昭和生まれの私にとっては、なんだか切ないようでもあり、羨ましいようでもあります。

追悼して、内田裕也さんの生涯の一端を振り返りたいと思います。

内田裕也さんと言えば、何といっても故・樹木希林さんをおいては語れないですよね。

世間の常識なんて、まったく通用しないような夫婦関係。

その特異な関係性に、ノスタルジーを感じざるをえません。

だって、「じゃりン子チエ」で言えば、完全に「テツ」ですもんね^^;

内田裕也と樹木希林 その経歴

内田裕也さんは、1929年11月17日生まれ。兵庫県西宮市の出身。
小・中・高と、少年時代は大阪府堺市で過ごしたようです。
中学時代は、生徒会副会長も務め、真面目で勉強熱心という意外(?)な少年時代を送っていたものの、
日本大学法学部の夜学中退後、佐川ミツオ(現・佐川満男)と共に、ロカビリーバンド「ブルー・キャップス」を結成。
1959年、渡辺プロダクションに所属し、かまやつひろしのサンダーバードや山下敬二郎のレッド・コースターズ、
寺内タケシとブルージーンズなど、有名バンドに数々在籍し、1960年代中盤頃からの音楽性はロック色を強いものに変化していく。

一方、樹木希林さんは、1943年1月15日生まれ、東京都神田区出身。
高校生の頃から演劇部に所属していたそうですが、この時は薬剤師になることを目指していたようです。
1961年に文学座で女優として活動を始める。
1964年のドラマ「七人の孫」では森繁久弥との軽妙なやりとりで人気を獲得。
その後も、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などで、個性的な演技派女優として不動の人気を博す。

そんな二人は、1973年に結婚。

樹木希林さんは2度目の結婚だったらしいですね。

 

内田裕也が樹木希林に送った手紙に宿る愛

樹木希林さんの葬儀の際に、喪主の内田裕也さんが心痛で体調が悪くなり、代わりに娘の也哉子さんが謝辞を述べられました。

その時に、樹木希林さんの本棚で偶然見つけたという、内田裕也さんが樹木希林さんに送った手紙を披露されました。

この手紙に、二人の関係性と愛が滲み出ていて、参列者の涙を誘いました。

その手紙は、こんな内容です。

『今度は千帆と一緒に来たいです。

結婚1周年は帰ってから2人きりで。

蔵王とロサンゼルスというのも、世界中にあまりない記念日です。

この1年、いろいろ迷惑をかけて反省しています。

裕也に経済力があれば、もっとトラブルも少なくなるでしょう。

俺の夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることはよく自覚しています。
突き詰めて考えると、自分自身の矛盾に大きくぶつかるのです。

ロックをビジネスとして考えなければならないときが来たのでしょうか。
最近、ことわざが自分に当てはまるような気がしてならないのです。

早くジレンマの回答が得られるように祈ってください。
落ち着きと、ずるさの共存にならないようにも。

メシ、この野郎、てめぇ…でも、本当に心から愛しています。

1974年10月19日 ロンドンにて 裕也』

 

※「千帆」は、当時の樹木希林さんの芸名「悠木 千帆」より。

 

内田裕也と樹木希林の馴れ初め

ロックンローラーと演技派女優、この二人の馴れ初めはどんな感じだったんでしょうね?^^

2人の出会いは1973年。

内田裕也さんが友人のかまやつひろしさんのドラマ撮影現場に訪れたときに、
共演者としてそこに居たのが樹木希林さんだったということ。

このドラマは「時間ですよ」みたいですね。

 

お互い一目惚れだった、という説もあるようです^^

出会いから5ヶ月での結婚ということも、やっぱり最初から惹かれあっていたことの証かもしれません。

ちなみに、婚姻届けは内田裕也さんが書く部分も樹木希林さんが書いて出したらしいです。

最初っから"樹木希林さんが内田裕也さんの面倒を見る"、という関係性だったんですね^^;

そして、結婚して2年ほどで別居。

原因は内田裕也さんのDVのようですが、結婚当時は毎晩のように喧嘩して、内田裕也さんが暴れまわっていたらしいです。

警察が来ることもあったようですね。

なんとなく、状況わかりますが...

 

なぜ、離婚しなかった?

結婚して2年ほどで別居したあとも、結局2018年9月に樹木希林さんが亡くなられるまで45年間、
ずっと夫婦だったわけですが、普通に考えると「なんで離婚しなかったんだろう..」って思いますよね。

一緒に住めないくらいの間柄なのに、なんで?...と。

実際、1981年には内田裕也さんが離婚届を提出したそうですが、樹木希林さんが訴訟を起こして、無効となったそうです。

「え、逆だろ?」と思いますよね。

破天荒で、自由気ままで無茶苦茶なのは内田裕也さんのほうで、樹木希林さんが離婚届を出すのならわかりますが、
実際は逆。

その後も、沢山問題を起こして、逮捕されたこともある内田裕也さんですが、樹木希林さんは決して離婚しようとしなかった。

その理由について、「あんな男を放っておいたらもっと迷惑を掛けるから、自分がいる事で最後の一線を越えさせないようにしているんだ」と言っていたそうです。

そういう理由もあるかもしれませんが、

結婚当初は、内田裕也さんの「全てが好き」、と言っていた樹木希林さん。

自分も破天荒であるがゆえに、内田裕也さんの破天荒さも理解し、受け入れ、深く愛していたんでしょうね。

晩年、樹木希林さんは、「自分が悪かった」と思う部分を内田裕也さんに謝罪したそうです。

(ここも「逆だろ?」と思ってしまいますが、そういう夫婦関係だったんでしょうね^^)

その時のことを、樹木希林さんは、こうコメントしています。

「若いときはあんなに喧嘩ばかり繰り返していたのに、私が自分の悪い点を見据えて、頭を下げるようにしたら、夫は実は優しい人だったんです。」

「あるとき、離れていても何かにつけて内田のことが頭をよぎるという話をしたら、(内田さんも)オレもそうだった、と。何かと私のことが頭をよぎっていたと聞かせてくれた。やっぱり夫婦なんです」

なんちゅう素敵な夫婦関係なんでしょうね。

まとめ

2019年3月17日、亡き妻の後を追うように内田裕也さんもなくなってしまいました。

結局、つきなみですが、この夫婦はこの夫婦にしかない関係性、愛の形があったということですね。

若い時には、パッと燃え上がって勢いで結婚するものですが、結婚して実際に共同生活を始めると、
相手の知らなかったことや嫌な部分も見えてきてしまうものです。

そんな部分も受け入れながら、パッと燃え上がった炎は少し小さな火になりますが、胸の中でいつも確実に燃えている、
そんな愛になっていくものだと思います。

晩年、樹木希林さんは朝日新聞の取材に、「あの世では同居? そうね。」と語っていたそうです。

内田裕也さんは早く樹木希林さんと同居がしたくなったのかもしれません。

あの世では、仲良く、笑いあいながら同居生活をしているかもしれませんね。

学ぶべきことの多い夫婦だったと思います。

お二人に、心よりご冥福をお祈りします。

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